ゾンビものとは?
ゾンビものを良く見ている。映画ではなくドラマシリーズである。ただ、ウォーキング・デッドではない。
hulu でデイ・アフターZを見る。ロシア製である。ただ、これは本当に、ゾンビもの、ということになるのだろうか。
ゾンビ、というのは、いつの頃から、ウイルス、伝染病という形のものが増えた。「バイオハザード」からと聞くが本当なのだろうか。
それ以前からゾンビというのは本来のゾンビとは違うようだ。ジャック・ターナーの映画「私はゾンビと歩いた」は、現在のゾンビ像とはずいぶん違う。セオドア・ロスコーの小説「死の相続」に出てくるゾンビ像もやはり、違う。
大体、自分のゾンビ観というのはどこから、と辿ってみれば、やはり、ロメロ「ゾンビ」になる。このロメロ「ゾンビ」も本来(とはいえ、何が本来なのか? ブードゥー起源説は多いが本当なのだろうか? )のゾンビとは違うらしいけれども、さらに、今のフィクションに溢れるゾンビとも違う。ロメロ「ゾンビ」からすれば、デイ・アフターZはゾンビものではない。
それでも、デイ・アフターZでは、ちゃんとショッピングセンターを舞台にしているのだから、やはり、ゾンビもの、ということで良いのではないか。ただ、この「ゾンビ」、ショッピングセンターを徘徊するものの、その速度が速い。ロメロ「ゾンビ」のノロノロではない。
ゾンビは、なにがしの比喩であって、と語るよりは(たとえば、資本主義云々、というような)、ゾンビものの道具立てというようなものを拾い上げてみたい。
ゾンビは人を食べなければ生きていけない
Netflix で配信中のiゾンビやサンタクラリータ・ダイエットでは、「人を食べる宿命」が明快に説明される。特に説明されないデイ・アフターZのようなものでも、襲わずにはいられない本能のようなもの、とはされている。
ゾンビによって人類は危機に陥いる
いや、これは不正確か。多くのゾンビものは、ある都市が壊滅的状況になっている、という程度ではないか。
ゾンビと戦うのは、個人である
組織に属する人間が職業として戦うというケースはあまりないのではないか。ジャック・バウアーのようなスペシャリストではなく、このデイ・アフターZのような素人が戦うというものが多いのではないか。これは単なる印象だろうか。
愛する人がゾンビになってしまい、襲ってくる。
身を守るため、あるいは、仲間を守るため、ゾンビ化した愛する人を殺す。デイ・アフターZでも、クライマックスとなっていた。
先端企業が開発したウイルスが原因となっている。
企業ないし、組織のリーダーの権力欲、あるいは、金銭欲によって、そのウイルスがバラまかれてしまった、というもの。この強欲な組織に善良な個人が団結して戦う。
結び
こういう道具立てだから、ついつい見てしまうのか、と、ならべてみて、一人納得している。
デイ・アフターZ、シーズン2の配信が hulu で始まった。

